今年、5月の末に引っ越しをした。
借家から実家へと戻ったのである。
97年から、かれこれ22年間、同じ市内の一戸建て住宅を借りて住んでいた。
さすがに22年、いろいろなことが思い出される。
当時からいた人は、それぞれに転勤や家を建てたりして引っ越して行った。
また、ご近所には新しく家を建て、引っ越してきた家族もいる。
数ある思い出の中でいくつかの話しを書こう。
わが家には仙台市に就職をしてアパートに住んでいる長男と、一関市に就職して実家に一緒に住んでいる長女と、子どもが2人いる。
長男が小学校1年生の時であるから、もう20年前の話である。
ご近所に引っ越してきたご家族がいる。
新築である。
ある日、長男、長女と近所の同級生の3人で放課後に遊んでいた。
突然、長男が引っ越してきた家に来て欲しいと言いにきた。
何かやらかしたとピンときて、そのお宅へ行ってみた。
そうしたら、玄関先のコンクリートに足跡をいくつか残してあった。
とても子どもらしいいたずらだとなと、内心では思っていた。
まぁ、足跡を付けられたお宅からすれば、一大事だということ分かっているが。
その後、施工業者さんがきれいな状態に戻してくれたそうである。
もう一つの大きな出来事。
やはり2011年3月の東日本大震災であろう。
その時は会社で仕事をしていたが、あれほどの大きな揺れは、それまでには経験したことが無かった。
長男と嫁は、偶然にも実家でお袋といたという。
嫁もお袋も、大学入学間近な長男がいたことは、心強かっただろう。
長女と言えば、地震の時は高校にいたそうである。
他の生徒や先生と一緒であったから、こちらも心強かったかも知れない。
当日の晩、自分は夜中の2時頃まで仕事であった。
嫁からの連絡では、サッシが吹き飛びタンスが倒れ、家の中はめちゃくちゃになっているという。
自分が家に戻り、両隣の安否を確認し、貴重品を自分の車に積み込んだ。
鍵も掛からない家に置いていては、持って行かれる恐れがあるからだ。
貴重品と言っても、積み込んだのはカメラ機材と楽器であるが。
それから、当時の車のワゴン車にのり、近くのコンビニの駐車場で一夜を明かした。
家族5人が乗って地震の夜に避難をしていた。
恐らくは、これから先には、この1度きりの経験になるのだと思う。
現在は実家の2階を占領して長男以外の3人と、1階にはお袋というよに住んでいる。
まだまだ引っ越しの荷物は片付け切れていなく、お客さんが泊まれるようなスペースも無い。
徐々に片付けはしているが、いつになったら終わるのか。
とりあえずは、暮れの休みに弟家族が泊まれるスペースだけは確保しないとな。(笑)
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