東北大震災から2ヶ月以上が経った。
前にこの「なぐり書き」に書いた時は1ヶ月を1週間過ぎた頃だった。
震災から、そして「なぐり書き」に書いてから何か変わったことがあったかを書きたいと思う。
何か変わったこと、変化があったこと・・・被災地の惨状はニュースや新聞で伝えられている通り、がれきの撤去がかなり進んだところ、まだ撤去も始まっていないと同様の所と様々あるようだ。
事情は色々あるようで、一概に作業が進んでいないと非難できるものではないだろう。
ゴールデンウィークに大挙して訪れたボランティアの皆さんが去って、ぐっと人手が足りなくなってしまったのも事実であろう。そしてその、ボランティアの皆さんも休みに都合を付けて作業に当たった人がほとんどであろう。
一日も早い復興をお祈りすることしかできない訳であるが、やはり政府主導と言いながらも中々それが下まで下りてこない、あるいは上の方で回りっぱなし、決定もされていない事項というのが多いという印象を受ける。
さて、自分の事を振り返ると、どうだろう。
物理的にはほぼ震災前と変わらない生活に早い段階から戻った。ただ、庭にはまだ片づけをして出てきた捨てるべき物が積んである。少しずつ片づけてはいるが、一気には進まない。
精神的にはどうだろう。
中々自己分析というのも難しいのであるが、震災の前と比べると変化したところが感じられる。
まず、第一に涙もろくなった。
これは年を取ったせいもあるのだろうけど、前よりもすぐに涙が出るようになった。
たとえば会社で新聞の記事を読んでいても、簡単に涙があふれる。特に嬉しいようなプラス方向の記事・・・たとえば震災でどこどこの誰それさんが助かったとか・・・というような記事を読むと涙があふれてしまう。
これがどこどこの誰それさんが亡くなったという記事だと、割りと冷静に受け止めることができて、涙もあふれ出ない。
第二に行動を起こすのが億劫になった。
元々面倒くさがり屋なので、これも微妙な感じではあるが、庭の捨てるべき、片づけるべき物を片づけるにもかなりの時間が必要になってしまった。ちょっとした物を動かすにも面倒と感じてしまう。
もうそろそろ暖かくなってきているので、天気と休みの都合さえ合えば写真を撮りに出かけたいところだ。
撮影に出かけたいとは思うものの、実際の行動には移れない。
あるいは、毎晩のようにしていたベースの練習もとぎれとぎれになってしまっている。休みの日の夕方にやっとベースを出して始めるという始末。それもそれまでの半分ぐらいの時間しか掛けられない。
加えて、バンドでは作詞を担当していて、大分前から2曲の歌詞を作ることになっている。震災前はライブの練習があったりして時間を作れなかったのだけど、震災後は時間を作っても始められない。始めても中々歌詞の言葉が出てこない。そして歌詞を書く時には、その情景が思い浮かびストーリーがイメージされていたが、今はその情景に中々入り込めない。入り込んでもすぐに抜け出してしまってストーリーが作れない。
きっと精神的に何かのスイッチが切れてしまったのではないかなぁと想像している。
そして、そのスイッチを一生懸命に探している最中でもある。
こうして、自分自身を見つめることができれば、またそれはそれで何かの切っ掛けになるかも知れない。
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