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【引っ越しという作業:その5。】

5度目の引っ越し・一関市内

つい最近と言っても、すでに3年になろうとしているが、立沢の借家から自宅へと戻ることにした。
親父が亡くなり、お袋が一人暮らしをしていたのだが、寄る年波には勝てず一人で住まわせておくことが危なくなってきた。
子供達は大学院や大学を卒業し、それぞれに職に就いていた。
長男は仙台市にアパートを借りて住んでいる。
一方、長女は地元一関市に就職し借家から通勤していた。
家族3人分と長男の残していった荷物を運ぶ事になっていた。
当然のごとく、また業者さんを頼った。
20230211_moving05_20190602.jpg
いくつかの業者さんに見積りを依頼したところ、パンダマークの引っ越し業者が安かった。
20年以上住んだ立沢の借家20年以上も暮らして居ると、自然と荷物も多くなる。
当日は4tのパネルトラック2台がやって来て荷物を運びこんでいた。
借家を出るに当たっては、かなりの量の不要品が出た。
というより、それを機会に捨ててしまおうという事にしていた。
不要品回収業者さんもたのであり、荷物を運び出した後に引き取ってくれた。
当日以前から少しずつ区分けしていたので、作業は案外簡単だったかも知れないが、普通トラック2台分ということで料金も結構な額になった。
さて、引っ越し先での例のタンスをどうするのだろうと思っていたが、今度は階段を使って運び上げた方が良いという事になり、廊下や階段に傷が付かないような養生をして運んだ。
流石に一人というのは無理だったので二人がかりである。
引っ越しをして3年半になるのだけれども、未だに引っ越しに持つから出していない物が大分ある。
普段の生活には直接関係無いものであるが、やっぱり廃られないもである。
そういう物が段々と溜まっていくのだろう。

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tag : #引っ越しという作業

【引っ越しという作業:その4。】

4度目の引っ越し・一関市内

もうその時は結婚し子供もいた。
事情があって実家を出て借家暮らしをすることにした。
以降、それまで最長の21年を一関市立沢の借家で暮らすことになる。
引っ越しは、本人達で行うなどというのは到底無理だったので、全国組織の引っ越し業者に依頼した。
当日は曇りからポツポツと雨が落ちてくるような、到底引っ越し日和などとは言えない日だった。
それでも大事なく無事に完了したのは、流石にプロの引っ越し屋さんだった。
ただ、当時使っていたPCデスクで右側に引き出しが付いていて足にもなり、左側に太めの金属製足2本で支えるという物だった。
これが、足側の天板に付く所がボルトになっていたのだけれど、机を運び込んで置いたタイミングが悪かったのか、そのボルトに大きな加重が掛かってしまった。
そして、ボルトはグニャリと曲がってしまって、元には戻らなかった。
それ以降、引っ越しをするまで片側には写真雑誌などを積み上げて足の代わりにしていた。
ま、どうって言う事はない。
すごいなと思ったのは、嫁入りタンス3本と少し小さいタンスを運び出す時。
それは2階に置いてあったから、階段を降ろすか屋根から降ろすかで協議した。
自分たちはどちらでも良かったので、業者さんに任せていた。
結果、2階の窓を開け屋根を使い、一度トラックの屋根に載せて下に降ろした方が良いと言うことになった。
かなり重量があったはずであるが、2、3人で難なく事を成し遂げてしまった。
流石にプロである。
午後から始まった引っ越し作業であったが、4tトラック1台でなんとか収まったのかな。
かなり大きなタンスセットも運びこんだけれど、ちゃんと夕方には業者さんも帰って行った。
引っ越し先の借家は新築だったので、気持ち良かったな。
当日の夜は、ほっかほっか亭の唐揚げ弁当を買って食べたのと、その晩の水道の水は新しかったこともあり、かなりカルキ臭かったのを覚えている。

tag : #引っ越しという作業

【引っ越しという作業:その3。】

3度目の引っ越し・仙台市から一関自宅

仙台では2年弱働いて退職した。
仙台に職を求めたかったのだが、不況の時期だったので中々見付からずに一関へ帰る事にした。
ここから数ヶ月のニート生活が始まる分けであるが、その前に引っ越しだ。
学生時代の時より少しだけ荷物が多くなった。
自宅から運び込んでいたベッドや冷蔵庫、洗濯機などの家電、カラーボックスにレコードなど場所を取るような物が増えていた。
この頃にはステレオもあったので、小さいながらにスピーカーや50枚ぐらいになったLPレコードなどもあった。
流石に自家用車で運ぶと言うことは無理だったので、1日だけレンタカーで1.5tの1BOXカーを借りた。
その程度の車は、仕事でほぼ毎日運転していたので大きさの感覚はあったのだ。
何とかギリギリに荷物を積んで、仙台のアパートを後にしたわけだが、当日のことを覚えている。
アパートへの小径に車を入れて朝から1人で荷物を載せていると、2階に住んでいたおばさんから「邪魔なんだけど」というお言葉をいただいた。
このおばさんには、多少の貸しがあったのだが、それはまた後日書くということで。
それと覚えていることをもう1つ。
仙台から一関までは国道4号をひたすら北上した。
出発して2時間ぐらい経っただろうか、宮城県北の築館という所を過ぎたあたりで、小中の同級生でガス屋に勤めていた近所の友達とすれ違った。
彼は自分だと分かっただろうか、後日確認するつもりでいたが、40年も聞き逃している。
レンタカーを当日戻さないといけなかったから、1日で仙台~一関間を往復したことになる。

tag : #引っ越しという作業

【引っ越しという作業:その2。】

2度目の引っ越し・埼玉県蕨市から仙台市

2度目は学生時代が終わって、就職先の宮城県仙台市に引っ越した。
蕨のアパートには、自分の後に弟が入る予定になっていたので、自分の身の回りの物と着替えだけを車に載せて運んだ。
当時の東北道は、まだ川口まで通っておらず、その上あちらの道路も詳しくなかったので国道17号~16号経由で岩槻ICから乗ったのを覚えている。
弟を助手席に乗せ、確か夜中に出発して朝の7時過ぎに目的地の仙台市に着いた。
途中、菅生SA辺りから雪がチラついていたことを覚えている。
仙台の道路事情もほとんど知らないままだったので、仙台南ICで下り国道4号へ出てアパートに向かった。
そろそろ通勤のラッシュ時間が迫っていたので、4号線は結構混んでいたように思う。
アパートには駐車場など無かったので、近くの東北新幹線の下に停めておいた。
後にフェンスが張られガード下へは入れなくなってしまったのだが、自分が仙台にいる時代は停めていても大丈夫だった。
積んできた荷物を降ろすためにアパートへ寄り、その後は一関の自宅に帰ってきたように思う。
本格的な引っ越しは後日、彼女を連れ出して街中で買い物をしたりして整えた。
引っ越し当日は、ご飯を食べる所も分からなかったので、東仙台から街へ向かう途中のラーメン屋で食べた。
道路ギリギリの所に路駐していたことを覚えている。

tag : #引っ越しという作業

【引っ越しという作業:その1。】

1度目の引っ越し・一関市から埼玉県蕨市

良くある高校を卒業しての引っ越しである。
自分は1年浪人をした後、2年間の専門学生時代を経験している。
浪人時代の予備校は神田で、専門学校は鶯谷にあった。
引っ越し先の蕨市のアパートからは、どちらも1時間以内に行ける距離であった。
それに、蕨には友達も引っ越しという事が分かっていたので、それなら自分もそこ住んでみようと言うことになった。
高校の同級生は吉祥寺などに住む連中が多かったので、自分のように埼玉県の、ましてや蕨市にする人間は相当珍しかったかも知れない。
引っ越したのは1979年の3月であったけれど、それ以前の2~3月中旬までは神奈川県の横浜・川崎に居候する形になっていた。
それなので、着替えなどの身の回りの物は、大目のバックパックに詰め込んで先に移動していた。
引っ越し自体にはコタツや布団、その他の着替えなどを一度川崎の親戚宅へ移動させ、川崎では中古の机を調達し、他の元の一緒にトラックで運んでもらった。
覚えているのは引っ越し当日のアパート。
収納や片付けやを終わり関係した人達が帰った後である。
自分は東京都の平井と言う所へ引っ越していた小中高の同級生のアパートへ遊びに行った。
そして自分のアパートへ買って来てみると、玄関のドアの取っ手にお菓子やらちょっとした食料の入ったスーパーのビニール袋がぶら下がっていた。
お世話になった川崎の3つ下の従兄弟とが遊びに来てくれていたのである。
しかしながら自分は遊びに出ていたので、会うことができずじまいであった。
その日からほぼ3年間、仙台へ引っ越すまでの間をその蕨のアパートで過ごすことになった。

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【引っ越しという作業】

フッと思いついたのが自分の「引っ越し」である。
高校を卒業後に何度かの引っ越しを経験しているのだが、案外当日と前後の事は記憶の中から消えない。
そういう思いをちょっと文章に残してみようかなと言う気になった。
もちろん、その記憶は曖昧で不正確な事も多いのだろうが。

自分の引っ越しに付いて書いてみる。
引っ越し自体は7回あるのだが、その内の2回は小学校5年の時、学校併設の病院である仙台市西多賀への入退院のための引っ越しだったので、それは含めない事にする。
住む所を変更した引っ越しとなると5回と言うことになるが、全て住民票も移している。

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